こんにちは。大阪のいちじく農家ハッピーファーム園主の吉川です。
さて、いちじく農家をやっているとときどき、いちじくについての講師っぽいことをお願いされることがあります。
そこでよく聞かれるのが、「いちじくっていつからつくられてるんですか?」という純粋素朴な疑問。
今日からそういったいちじくの歴史について、記事に残していこうと思います。
「ヨルダン渓谷」という中東のヨルダン・イスラエル近辺の地域で、1万年前の新石器時代の遺跡から、栽培種のいちじくが炭化した状態で発見されました。つまり、1万年前から中東地域でいちじくが栽培されていた可能性が出てきています。※栽培種ではなく、自生したいちじく品種であるという見方もあります
また少なくとも紀元前4000年(いまから6000年ほど前)には、中東周辺で栽培されていた歴史があり、特にイスラエルでは、非常に裕福な土地である条件として「小麦・大麦・ぶどう・いちじく・ザクロ・オリーブ・ナツメヤシがあること」とされ、古代からいちじくがとても愛されていたことがわかります。
古代エジプトの壁画にもいちじくの果実が描かれていて、このことから紀元前2700年にはエジプトに伝わって栽培されていたことがわかります。
じつは日本に入ってきたのはとても最近で、今から400年前くらい江戸時代に中国から入ってきました。(一説にはポルトガルからとも、ペルシャからとも言われています)
「蓬莱柿(ほうらいし)」という品種のいちじくが伝わり、最初は薬や観賞用として広まりました。やがて甘味として食べられるようになり、また挿し木で簡単に増え栽培に手間もかからないことから庭木として広まりました。蓬莱柿は早くから日本に伝わって広まった品種のため、「日本種」や「早生日本種」「在来種」とも言われています。
そしてより果実が大きく実が赤くなる「桝井ドーフィン(ますいどーふぃん)」という品種がアメリカから広島にわたって、全国的に広まりました。今では、「桝井ドーフィン」が市場シェア7割(最新は9割とも)ほどを占めると言われています。
広島の桝井さんという方が1908年、アメリカから持ち帰った3本の枝のなかから奇跡的に根付き実った木を、これまでの蓬莱柿などと比べて果実が特別に大きかったことから「桝井ドーフィン」と名付け、広められました。そこから兵庫県川西市など様々ないちじく産地が形成され、ここ大阪府羽曳野市も一大いちじく産地になりました。
残念ながら現在では桝井さんが経営されていた桝井農場は後継者不足等の問題から閉園されていますが、広島には功績を称えた記念碑があるそうです。
ハッピーファームでも桝井ドーフィンがメインのいちじく品種として、とてもお世話になってるので一度見に行ってみたいです。
日本で栽培が遅れた理由には、いちじくの受粉メカニズムが関係しています。
いちじくには受粉タイプで大きくわけて4種類のタイプがあります。「コモン種」「サンペドロ種」「スミルナ種」「カプリ種」といいます。
じつは本来、いちじくは受粉が必要な果物でした。ただしイチジクは果実の内側に花が咲くので、風などによる受粉はできず、「イチジクコバチ」というわずか体長1~2mm程度のすごく小さなハチによる受粉しかできません。なお、日本には「イチジクコバチ」はいないため、カプリ種やスミルナ種は受粉できず完熟しません。
そこでそういった受粉をしなくても栽培ができるように品種改良を進められ生まれたのが、サンペドロ種やコモン種になります。
つまり、桝井ドーフィンや蓬莱柿といった日本でも栽培が可能な品種が生まれたのがそもそも最近だということが、日本でいちじく栽培がはじまるのが遅れた理由になります。
中東から栽培がはじまったと考えられ、すくなくとも6000年前(一説には1万年前)には栽培されていました。日本には約400年前の江戸時代から、薬用としての栽培がはじまり。果物として経済栽培が盛んになったのは、100年より最近です。
いちじくがいつから栽培されているか、わかりやすかったでしょうか?
次回は神話や聖書にも登場するいちじくの神秘的な側面について記事を書こうと思ってますので、楽しみにしててくださいね。